なるべく自分語りを入れないで行きたいと思った


◎一般的な話
・何が気に食わないかで、話をしたくなる時

気に入るか、気に食わないか、ただそれだけなんだと思う

人は何が好きかで語れと、そうおっしゃる
その言説だけがまかり通るのならば、居心地のいい世界が出来上がるだろう
だが本当にそれでよかったのか

気に食わなければ気に食わないと言っていいと思う
そこに理由をつけることこそが大切なのだ
それがたとえ生理的に、とか漠然と、とかそうであったとしても

わざわざ言う必要性はない
本当はわざわざいう必要性など無い
自分を語るときにアンチ○○です、なんてきりだすやつを信用できるわけが無い

それでも
自由に語れるとはそういうことだ、と思いたい
この作品のここがいい、誰それのここが好き
この商品のここが悪い、誰それのここが嫌い
等量かどうかは知らないが、無いとは言わせない、あるなら語ればいいじゃないか


喧嘩をしに行けといってるわけではなく、むしろすみわけのお話である


まあ、お互いを尊重する態度があってこそ成り立つ話なので、その前提が無いと難しいのかもしれない
我々は坊主が憎いから袈裟まで憎いわけではないし、袈裟が憎いからといって坊主が憎いわけでもないのだが…


・夢を持つこと
ありきたりな話ではあるが、夢はあったほうがよい
無くても何とかなるが、あった方が往々にしてよい

何を言ってるんだ、と思われるかもしれないが、意外と夢がない人間は多いのだ
失ってしまった、というべきだろうか

今を楽しんでいる人達も、夢を問われるととたんに詰まる事が多い
あれ、夢ってなんだったっけ?

昔夢見た物と今夢見る物は違うかもしれない
それでもいい、目指す目指さないに関わらず夢はあった方がよいのだ、生きる活力、生きる道しるべ、生に直結する
目標だったらよりわかりやすくなるだろうが

あなたの夢は、なんですか?


・知られたい、知ってほしい、自分がここにいることを
自らの考えを、己の意見を、私の思いを
知って欲しい、世にしらしめたい、伝えたい
この欲望は誰もが持っているのだろうか、どうなのだろうか

世界中に情報をばら撒けるようになったことが、より人を駆り立てる
この情報社会、拾われるかどうかは別にして、叫び上げることは誰でも出来るのだ

自分が何者なのか、足跡を残したいと思うことが罪だろうか
そんなはずはない

叫びたい
叫び方を教わらなかったが、今なら目いっぱい叫んでもいいはずだ
己の考えを、打ち出せ、吠えろ、力の限り


誰かに、伝われ



◎同人の話
・買い専
作らないから、買い専
まあそれだけである

ちょっとだけ待ってくれ、俺達にだって言いたいことくらいある、言いたいことはあった
だが言わないから買い専なのである


まあもうちょっとだけ待ってくれ、
何と言えばいいのか、作らなかったのだ
それはやる気の問題だったかもしれない、時間の、金の問題だったかもしれない
ただ作らずに買い求め続けた
好きを集めることにした

いつのまにか作り手に変わっていった人は多い、長いことやってると満たされずに自分で自分の好きなものを作り出せばいいと思った人達は、旅立っていった
そこまでの情熱は、無かったのか
いや、情熱は負けていなかった、ただそちらには踏みださなかった
だが、我々が何も作らなかったわけではない


買い専にとって、買ったものこそが作品なのだという事を伝えたい
性癖の暴露をする必要性は全く無いし、余りしない人のほうが多いといえば多いのだが、戦利品リストなんかはその人をあらわしたものではないだろうか
間違いなく、買い求めた物こそが、その人の芸術であり、作品である
そこに誇りを持ってこれからも買い続けて欲しい


どうだろ?
そうであったらいいなぁ、くらいではあるが




・書き手(作り手)と読み手(消費者)に垣根なんて、ない
ない
いつだって、どちらにだってなりえるからだ
垣根を感じるのは勝手である、だが本当はないのだ
一歩踏み出せば、君は作り手へなれる、なんだっていい
ただ一言発するだけでも作り手へ変わることが出来るんだ
上も下も無い、隔たりなど感じるな、飛び込め、輪に入りたけりゃ入っていけ
別に作り手にならなくたっていい、消費者として接したっていい、そこに壁を感じる必要性はない
礼儀を持って接することが出来るなら


・垣根なんて、
あった
無いなんていったな、それは嘘ではないが、本当でもない
恐らく、恐らくだが、基本的に世に出回る意見というのは作り手側のものが多い
彼らは感じることは無い、垣根など無いと言えるだろう
だからこそ皆垣根なんて無いんだ、って思う
でも、ほんとはあるんだ、作り手ではない我々との決定的な差が
それが何なのかというと一つではないだろう
やる気、踏み出す勇気、恐れない心、描いた目標、確固たる信念、なんだっていい
ただ作ったという事実と、作っていないという事実は、残酷なまでに人を分ける
分けるんだよ

作ってみないと作り手の考えが分からない、という意見は良くあると思うが
作ってしまうと多分作らない人間の考えは最早分からないだろう

羨望、憧れ、時として妬み、嫉み、発露の仕方は様々だろう

誰もがそうではないとは思う
だが、壁は確かにある、あるのだ


絵師が絵師同士でしか仲良くしない、なんて事は無い
だがそう見えるということが話題になる、ということは、何かしらそう思っている人がいるということである、話題に上っている時点で
勿論絵師としては共通する話題が多い絵師同士仲良くすることが多いのは当たり前だし、その事実があるというのはまあ置いといて
やっぱり憧れを持ってみてしまうのだろう、混ざりたいという気持ちが出てくる
その時点で実は壁を持ってしまっているのだということを

だからといって卑屈になる必要性はない
垣根の問題と、卑屈になるかどうかはまた別の話だ



・追究と孤独
とがればとがるほど、人は孤独へ向かって走ることになる

そんなことはないと人はいう、多くの尖った変態たちは変態たちと仲良くしてるではないか…と
その通りだ、確かにその通りなのだが、ここでいう孤独とはそういう意味ではない
多くの人に受け入れられるかどうかという意味ではない

自分自身の追い求めた物が多岐に渡るか、それとも一つの極みに向かうかはさておき、最後の感覚の部分と言うのは説明が出来なくなっていく
一部を切り取って分かり合えることはあるだろう
全部分かられたらむしろ困るのだ

自分が追い求めて、追い求めて、辿りついた境地を
人に理解されたいという欲と、軽々しく理解されたくはないという欲がせめぎあう

究極的に自分を理解できるのは自分しかいない
これを孤独と言わずして何と言うのか

それでも追いかけたい何かが確かにあった



・刹那
きっと10年、20年も経てば何も残らないだろう、それが悔しくて
きっと10年、20年経っても忘れられないものがあるはずだと、信じたくて
今この瞬間手に入れられなかったものを、二度と手に入れられないだろうことが辛くて
今この瞬間手に入れたものを、愛しく抱きしめたくて




なあ、10年前の同人誌、どうしてる、元気してるか
20年前のジャンル、息してるか
消えないで欲しい、忘れたくない、だが新しいものが生まれてくることを、新しいジャンルが席巻することも望んでいる
だからこそ、この一瞬を、大事に


・自由たれ
この時代に感謝して
己を縛る(己を律する)こともまた自由である
とらわれることもとらわれないことも自由である
不必要に自由にこだわるのは自由ではないかもしれない
それもまた自由なのかもしれない
流行に乗るのもよし、流行に背を向けるもよし
ジャンルを変えまくるのも、ジャンルにとどまり続けるのもよし
傾向を絞るのも、傾向を変え続けるのも
それは作り手も買い手も同じことだ
好き放題描き、書き、作り、発想し、妄想し、好き放題買いあさり、読みふけり、聞き、遊び、楽しみ、悲しみ、喜び、怒り、憂い
好きなときにやって、嫌なときはやめて
皆がやってるから気になってはまってみた、それでいいじゃないか
皆離れていったけど最後まで残りたい、それもいいじゃないか
裏切っただ裏切ってないのだなどどうでもいいのだ、まあそう感じるのもまた自由なのだが
作品への愛がどうたらこうたらなんてのも、どうでもいいことだ、そりゃ愛がある方がまあ良い物ができやすくはあるけどね

自分を縛っているのは自分自身なのだと、それに気付き、それをも受け入れられれば気が楽かもしれない
例え周囲の要因が大きかったとしても最後に決めるのは自分なのだから

同人は、そういう場であり続けて欲しい



コメント

ZENO(ゼノ@ 5色の人)
2016年12月17日13:18

すごい良いですね。心の琴線に触れる部分がたくさんありました。
上手く言えないけど、心の奥のモヤモヤした部分を上手くカタチにしてくださっているような… 考えさせられる部分がたくさんありました。本当にありがとうございます。

如月モコナ
2016年12月17日19:03

>ZENOさん
そう言っていただけると、嬉しいです
読んでくださりありがとうございます

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